2012年02月08日

優先座席

美味しいスープカレーが恋しい、ねぇです。

秋から全国紙を購読するようになり、やはりネット上での情報収集には限界を感じている次第です。また、投稿欄はひとりで留守番の身に取ってはいい話し相手のようで、感心したり、異論を持ったりと感情面でも忙しくしてくれます。

そんな投稿のひとつ。本日(朝日新聞 2012年2月6日朝刊)にあった『優先席を「専用席」にしては』という投稿に違和感を覚えた。
概要は、以下の通りである。

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主婦 34歳
妊娠6ヶ月。
電車で大学病院に通院する事になった。お腹も膨らんで来たので不要と思い、マタニティマーク(都内は地下鉄駅などでもらえる)を持たずに出かけた。平日の昼間、優先座席には60代の夫婦と30代の女性が座っており、席を譲ってもらえなかった。
帰りは駅でマタニティマークをもらったが、やはり同様の状況であった。
優先席近くに「必要としている人がお待ちになっています」とボタンを押せば自動音声が流れるようにしてはどうか。
また、「優先」ではなく、「専用席」にすべきである。
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いろんな観点で、大いに異論のある所である。

自分は席を譲ってもらうべき弱者であるという点
お産は病気ではない。健康でなければ、妊娠を継続できない。だから、妊娠の有無にかかわらず、体調不良な人は優先座席に座ることができる。

見えない弱者に気づいていない点
先に優先座席に座っている人が体調不良であったかもしれないことには思いを馳せず、目に見えて「妊娠」している自分にのみ焦点を当てるのは自己中心的といわざるを得ない。

マタニティーマークへの過信
あれは「妊娠している」という事実を伝えるだけで、この人が席を譲って欲しいと思っていることを伝えるメッセージマークではない。
以前、満員電車に腕まくりして威勢良く乗って来た妊婦さんが、ここぞとばかりにマタニティーマークを鞄から取り出した事があった。仕事ができるほど元気なのに、見苦しい限りである。

自動音声への過信
自分で声が出せるなら、ひと言「すいません、座らせてもらえませんか?」と言えばいいだけのこと。これは、妊娠の有無や年齢に関わらない。優先座席なんだから、声をかければいいのである。たとえ日本語ができなくても、それくらいは通じるものである。

自動音声への無頓着
それでなくても、混沌とした自動音声天国の日本。この投稿を読んだ愚鈍な鉄道会社が、延々と車内で「優先座席の近くには必要としているお客様がお待ちになっています」とアナウンスを流し、音環境の汚染を侵すことを恐れるばかりである。

優先席の本質
本来、すべての席が優先席である。誰もが、具合の悪い人には席を譲るべきである。この人が希望する「専用席」にするならば、妊婦はそれ以外の席に座らないようにしてもらいたい。だって、病気じゃないんだから。



少子化の日本社会は、そこまで妊婦さんにひれ伏さなければならないのだろうか。
彼女たちは、日本のために子どもを産み育てるのではない。もし、日本国家のためならば、過度な不妊治療のように子どもの親が誰だか分からなくても量産すればいいのである。そうなれば、小説『臓器農場』に匹敵するおぞましさである。

結局、妊娠は個人的な事なのである。
それによる体調不良は公権力で補うものではなく、ひとこと「すいません」と言えば済むのである。

追記すると、彼女の胎児は先天性心疾患だそうだ。
でも、それがなんだというのであろう。この事実を原稿に含んでいること自体、悲劇のヒロインになってはいないだろうか?
もちろん、子どもはより安全に生まれ出る環境を整えるべきだ。しかし母親が病気なのではない。保護されるべきは子どもであって、母親ではない。

さらに自動音声の騒音問題の観点から、「うるさい日本の私」の著者である闘う哲学者、中島義道先生のコメントを聞いてみたいものである。





いちおう書いておくが、私は言われなくても席は譲っている。たとえ、それが妊婦さんでもね。

posted by ねぇ at 18:54| 長野 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会の疑問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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